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ネクタイの歴史(3つの大きな出来事)

・「かつら」が大きくなった(近世の大きな出来事) ・「立ち襟」が「折り襟」になった(近代の大きな出来事) ・生地の裁断が「縦横」から「斜め」に進化した(現代の大きな出来事)

1.西洋近世(1500年~1700年)で起こったこと

「かつら」が大きくなった!

1500年代のイギリスでは、簡素なシャツの襟を紐で結び合わせていたが、ヘンリー8世(1491-1547年)のころから、襟元が、小さなフリルとなり、やがてひだ襟へと発展した。そのひだ襟はどんどん大きく豪華になっていった。しかし、ひだ襟は、洗ってから糊付けし、こて(糊を塗る道具)をあてなければならなかったため、実用的でなかった。ピューリタン革命(1642-1649年)で、チャールズ一世が斬首されると、その豪華なひだ襟のファッションもすたれた。1670年前後になるとひだ襟の代わりに、「かつら」が巨大化の方向へ!すると胸元が寂しくなり、ここにかの有名なネクタイ発祥の話、ルイ14世が警護にやって来たクロアチア兵たちの首に巻かれた白い布切れ(クラヴァット)を気に入って、胸元の飾りにした。これが、ネクタイの発祥だと言われている。

2.西洋近代(1700年~1900年)で起こったこと

「立ち襟」が「折り襟」になった!

1700年前半はあまりクラヴァットが流行らなかった。ジョージ・ブライアン・ブランメル"伊達男(ボー)ブランメル"の登場。"何を"着るかだけでなく"いかに"着るか。貴族の時代が終わって紳士の時代に入った。再び、流行り始めたクラヴァットは、高価な布地をレースなどであしらうようなものから、出来上がりや結び技法の美しさで表現するものになった。ダンディズムはシンプルな中に完璧を求めた。ダンディズムと歩調を合わせて、男性の服装が地味になり、クラヴァットの結び方は、身につける人物の人となりを表すものになっていく。ただの布をいかに結ぶか。その方法が、数えきれないほど考案された。複雑になる結び方を解説すべく、ガイドブックも数多く出版された。初期の指南書である「ネッククロスの世界」。「クラヴァット結びの技法」がバロン・ド・ランプゼ(フランス)コンテ・デラ・サルダ(イタリア)H・ル・ブラン(イギリス)で出版。ヴィクトリア朝に入ると、上着のボタンの位置が高くなっていき、クラヴァットでは、収まりが悪くなる。クラヴァットの結び方の一つとしてフォアインハンド結び(現在のネクタイの結び方の一つ)が考案される。立ち襟が姿を消し、ソフトな折り返し襟が好まれるようになった!そのため、収まりの悪かったクラヴァットから収まりの良いフォアインハンドへ移り始めた。これが、現在の下に垂れ下がるネクタイスタイル(フォアインハンド)の始まりだ。

3.西洋現代(1900年~)で起こったこと

生地の裁断が「縦横」から「斜め」に進化した!

1900年初期に、ウェストコート(ベスト)の流行が下火になると、ラペルの分だけ空いたVゾーンを埋めるべく、ネクタイは長くなっていった(現在のネクタイに近づく)。当時は、ネクタイを仕立てる際、生地の裁断を生地に対して縦横に裁断していた。そのため、結ぶ際に生地が結び目方向に伸びず、結びづらかった(現在でも生地を縦横で裁断したネクタイは結びづらい)。1924年、ニューヨークのジェシー・ラングスドルフがこの問題を解決する。ネクタイの生地の裁断を「縦横」から「斜め(バイアス)」にカットすることを提案した!これで、ネクタイの結びづらさは解消された。ラングスドルフによる技術革新を経て、人々はネクタイ結びの可能性に目覚め始めた。こうして、フォアインハンド・ノット(プレーンノット)の独占体制は、終わりを迎えた。1930年、ウィンザー・ノットが流行。1950年頃には、ハーフウィンザーもかなり普及していたが、ウィンザーからの派生ではない。起源もよくわからない。1989年、プラット・ノット(アメリカ人のジェリー・プラット)が発見され、世界中の新聞雑誌上にデビュー。結び方が再び注目を浴びるようになった。「タイのすべて」の著者フランソワ・シャイユは「フォアインハンドは、あまりきちんとした三角形にはしないこと。わずかなバランスの崩れに趣があるのだから」と語っている。紳士は皆、結び方に美学を持っている。ちなみに、私は、「プリンス・アルバート」が好きだ・・・

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